バスケットボールの歴史とは?日本ではいつから広まった?

更新日: 2024年1月30日
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Author
バスケヤリタイ 太田
編集長

バスケットボールの起源とは?

バスケットボールの起源について、解説していきます。

考案者はジェームズ・ネイスミス

バスケットボールは1891年アメリカで考案されました。マサチューセッツ州にある国際YMCAトレーニングスクールで体育教師をしていた「ジェームズ・ネイスミス」が考案者です。

当時のアメリカではアメリカンフットボール・ラグビー・野球などの屋外スポーツが人気を博していました。しかし、冬に大雪が降るマサチューセッツ州では、これらの屋外スポーツができる時期が限られてしまいます。ネイスミスが受け持っていた体育の授業でもやはり人気があるのは球技で、冬になるとマット運動や跳び箱しかできないことに学生が不満を漏らしていたそうです。

そのことをきっかけにネイスミスは桃のカゴを体育館の高い位置に設置して、そのカゴにサッカーボールを入れる競技を思いつきました。カゴは英語でbasket(バスケット)のため、この競技はバスケットボールと命名されます。これがバスケットボールの始まりです。ちなみにバスケットボールは日本名では「籠球」といいます。カゴは漢字で書くと籠になるため、この名称になりました。

ネイスミスが提言した5原則

ネイスミスは最初に5つの基本的原則を提唱しました。その原則は以下のとおりです。この5つは現代でもそのまま引き継がれています。

  • 軽くて両手で扱える大きさのボールを使用する
  • ボールを持って走ることはできない
  • プレー中は両チームともに誰でもボールに触れられる
  • ひとつのコートを両チームで使用するが身体接触はなし
  • ゴールは水平で高いところにある

ゴールの形状やルールはどのようにして作られていった?

ゴールの形状やルールの変遷をご紹介します。

バックボード

今は当たり前についているバックボードですが、バスケットボールが始まった当初は取り付けられていませんでした。ギャラリーにカゴを設置していただけなので、観客が手や足を伸ばせばシュートを妨害できる状況です。バックボードはその妨害を防ぐために取り付けられたのが始まりとされています。

バックボードを使うバンクシュートや、フィンガーロールで回転をかけバックボードを活用するレイアップなど、バックボードがあることで多くのスキルが生まれたこともメリットのひとつです。元々は木の板で作られていたバックボードですが、ゴール裏からも見やすいように透明の板が採用されるようになったことが、今のゴールの仕様に繋がっています。

リング

リングの高さや直径などは意外にも当初から変わっていません。桃のカゴを最初に設置したときの高さが305cmで、今も公式既定の高さになっています。カゴの直径も45cmだったようで、これも現在のリングの直径45cmと一緒です。

リングの高さや直径は変わらずですが、素材や形状は大きく進化しました。桃のカゴは耐久性がなく壊れやすいため、金属製の素材が採用されたことが最初の変化です。また、カゴ型のゴールだとシュートが決まる度に毎回棒でつついて取り出さなくてはいけません。その手間を減らすために現代のようなネットを使用したゴールが採用された経緯があるようです。

ドリブル

当初はルール上、ボールを保持した人は動くことは許されず、パスかシュートの選択肢しかありませんでした。その中で「自分へのパス」をすることで敵をかわすプレイヤーが出始めたことが、現代のドリブルに繋がります。ちなみに公式で最初にドリブルの技術が記録されたのは、1897年とのことです。

バスケットボールはどのように広まった?

バスケットボールが人気スポーツに成長していった変遷をお伝えします。

海外での広まり方

考案者であるネイスミスが体育教師として在籍していた国際YMCAトレーニングスクールには、各国からの留学生も多くいました。新競技であるバスケットボールは、その留学生を通じて一気に世界各国へ伝わっていきます。

1898年 NBL(National Basketball League)結成

1890年代後半には観客から観戦料を集める仕組みができあがり、それをもってバスケットボールの試合を行うチームが多く生まれました。1898年にそれらのチームが集まりNBLが結成され、プロリーグ活動が開始されます。

1904年 セントルイスオリンピック公開競技に採用

発祥から13年後の1904年にはセントルイスオリンピックの公開競技としてバスケットボールが採用されました。公開競技とは普及のために選出される公式競技以外の競技です。ちなみにセントルイスオリンピックでは、水球や野球も公開競技として採用されています。

1932年 国際バスケットボール連盟(FIBA)設立

その後1930年にバスケットボールがオリンピックの正式種目になる決定をうけ、2年後の1932年にスイスのジュネーブにて国際バスケットボール連盟が設立されます。

1936年 ベルリンオリンピックで男子バスケットボールが正式種目に採用

男子バスケットボールが正式種目に採用されたのと同時期に、考案者であるネイスミスが国際バスケットボール連盟の名誉会長に任命されました。ちなみにベルリンオリンピックの男子バスケットボール優勝国はアメリカです。

1949年 NBA(National Basketball Association)創設

1940年代からテレビ中継も始まり、バスケットボールはさらに人気を伸ばしていきました。1946年にはプロリーグBAAもニューヨークで創設され、NBLとBAAで人気を競う構図ができあがります。その後1949年にNBLとBAAが統合されNBAという新しい組織が創設されました。NBL・BAAそれぞれのファンを取り込み、バスケットボール人気をさらに向上させます。

1967年 ABA(American Basketball Association)創設 → 1976年NBAに統合

ABAという新しい団体が1967年に創設されましたが、この団体も1976年にNBAと統合されました。ABAは当時NBAにはなかったスリーポイントラインを考案した団体で、統合から3年後の1979年にNBAでもスリーポイントラインが初導入されます。バスケットボールを大きく進化させる重要な役割をABAは担いました。

1992年 オリンピック代表「ドリームチーム」の実現

1992年バルセロナオリンピックでは「ドリームチーム」と称されるメンバーが集まり、バスケットボールの人気はさらに増していきます。ドリームチームのメンバーには、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、マイケル・ジョーダンなどが含まれていて、決勝戦でも47点差をつけて圧勝し金メダルを獲得しました。

当時唯一の大学生であったクリスチャン・レイトナーを除き、選出されたメンバー全員がバスケットボール殿堂入りの功績を残していることからも、夢のチームであったことがよくわかります。

現代

現代ではバスケットボールの競技人口は世界で2位になるほど成長しました。NBAにも、レブロン・ジェームズ、ステフィン・カリー、ヤニス・アデトクンボなど、多くのスタープレイヤーが在籍しています。そのほか次世代のプレイヤーも台頭してきているので、NBAが今後もバスケットボール人気を底上げしてくれることでしょう。

日本での広まり方

日本でもバスケットボールはすでに100年以上の歴史があります。

1908年 大森兵蔵がバスケットボールを日本に持ち込む

大森兵蔵は国際YMCAトレーニングスクールで卒業した人物です。その大森兵蔵が東京YMCAでバスケットボールを初めて紹介したと言われています。

1924年 全日本学生籠球連合結成

早稲田大学・立教大学・東京商科大学(一橋大学の前身)の3校により全日本学生籠球連合が結成されました。これにより全国各地で対抗戦が行われるようになります。

1930年 大日本籠球協会設立

バスケットボールの普及と発展、競技レベルの向上を目的に1930年大日本籠球協会が設立されました。大日本籠球協会は日本バスケットボール協会(JABBA)の前身となる組織です。日本のバスケットボール普及に大きく貢献した組織といえます。

1936年 国際バスケットボール連盟(FIBA)に加盟・ベルリンオリンピック出場

1936年にはFIBAに加盟し、ベルリンオリンピックへの出場も果たしました。ベルリンオリンピックでは、参加14ヶ国中9位という成績を残しています。

1945年 大日本籠球協会から日本籠球協会に

1945年、大日本籠球協会が日本籠球協会として再発足されます。のちの日本スポーツ協会である日本体育協会に加盟したのもこの年です。

1967年 バスケットボール日本リーグ開催

1960年に発足された日本実業団連盟と日本籠球協会により、バスケットボール日本リーグが1967年に開催されました。この日本リーグが現在のBリーグです。

1976年 日本バスケットボール協会(JABBA)設立

法人化により日本籠球協会は日本バスケットボール協会(JABBA)として生まれ変わりました。同年に日本ミニバスケットボール連盟も設立され、バスケットボールの普及がさらに加速していきます。

1995年 JBL(バスケットボール日本リーグ機構)設立

1967年に開催されたバスケットボール日本リーグをプロリーグ化することを視野に入れるため、主催統括団体としてJBLが設立されました。プロリーグ化を目指し邁進していたものの、反対勢力の存在により進展しない状況がしばらく続きます。

2005年 bjリーグ(日本プロバスケットボールリーグ)設立

プロリーグ化が進まない状況を受け、新潟アルビレックス(現:新潟アルビレックスBB)とさいたまブロンコスがバスケットボール日本リーグ機構と日本バスケットボール協会からの脱退を表明し、bjリーグの結成を発表しました。

2007年 JBL(日本バスケットボールリーグ)設立

1995年に設立されたJBL(バスケットボール日本リーグ機構)が運営していたスーパーリーグをプロリーグ化するために、新たなリーグとしてJBL(日本バスケットボールリーグ)が2007年に設立されました。これにより日本には2つのプロリーグが生まれることになりましたが、同時にFIBA(国際バスケットボール連盟)より「1国1リーグが望ましい」と統合を要望される事態になります。また、同年日本バスケットボール協会は略称をJABBAからJBAに改称しています。

2012年 NBL(National Basketball League)誕生

bjリーグとJBL(日本バスケットボールリーグ)の統合を目的にNBLが誕生しました。しかし、bjリーグから移籍したのは1チームのみで統合は失敗に終わります。

2014年 FIBAより会員資格無期限停止処分を受ける

リーグの統一が進まないJBAに対し、FIBAは会員資格無期限停止処分を勧告しました。男子・女子・ユース含めたナショナルチームの国際試合出場が禁止される重い処分を下されてしまいます。

2015年 FIBAにより「JAPAN 2024 TASKFORCE」設立

JBAの改革のためFIBAが改革プロジェクトチームを発足しました。チェアマンとして就任したのは日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎氏です。活動開始から2ヶ月ほどでトップリーグ並存が解消される道筋がつき、日本バスケはあるべき姿に向かうことになります。FIBAによる日本の会員資格無期限停止処分も同年に解除されています。

2016年 Bリーグ発足

2016年bjリーグとNBLが統合し、完全プロリーグのBリーグが発足されました。初年度入場者数224万人を記録し、素晴らしい数字を出しています。(2015-16シーズンのNBLとbjリーグを合算した入場者数は162万人)

現代

現代では、渡邊雄太選手・八村塁選手とNBAで活躍する日本人選手が2人もいます。また、2023年に行われた「FIBAバスケットボールワールド2023」では、アジア1位の成績を残し、パリ2024オリンピックへの出場権も獲得しました。今後も日本のバスケットボールの発展やさらなる人気の向上が期待できるでしょう。